fancyjboy’s blog

とある大学で、映画やら本やらについて文章を書いています。課題はその時その時によって決まります!!

「あなたのことはそれほど」 第5話

 ネットなどで調べてもいない、前の話をなにも見ていないという状況の中で、「あなたのことはそれほど」第5話を鑑賞した。

 

 

見た感じの憶測と、頼んでもいないのに勝手に横で解説してくれたテレビっ子の母(58)からの情報でそれまでのストーリーを追うと、初恋の相手である妻子持ちの有島くんのことが忘れられない主人公のみつと、その旦那である涼太を取り巻くラブストーリー⁇といった感じだろうか。

【メインキャスト】

みつ 波瑠

涼太 東出昌大

有島くん 鈴木伸之

有島くん's wife 仲里依紗

 

 

 

どうやらこの第5話で話が動いたらしい。

自らの不倫が発覚してからというもの、涼太の挙動にどこか気持ち悪さを感じていたみつであったが、涼太が有島一家と接触するという事件が勃発したのだ。

 

 

今まで見てなかったので、話の動きを把握できていない自分にとってはそれほどの感動はなかったが、それを抜きにしても、昨今の浮気、不倫モチーフのドラマの多さには辟易していたので、「このドラマのことはそれほど」という感想が正直なところ…。

 

 

マスコミでも芸能人の不倫だなんだとワイドショーを賑わせている上に、ドラマや漫画、その他のメディアでなくとも浮気や不倫が元になった事件や話を実際に耳にすることが多い。

もっと言えば、以前で言えば「ドラマのような話」がまさに現実問題として起こっている状況の中で、敢えてドラマで浮気や不倫を、架空の状況として描く意味は何かという問いが発生する。

 

ドラマとして描く意味は、あくまで架空であるという前提のもとだから楽しめる、というものが一つの陳腐な回答だろう。現実に起こっているネタの方が確実に面白い内容であるのに、現実に起こっているがゆえに「楽しみ」として捉えられない。

「ドラマだから、映画だからいいんです」といったような言説は、まさにこの意識に根ざしている。

 

そう考えると、この楽しみの根源は「現実との距離感」によって発生すると考えることもできる。現実との付かず離れず、なんとも曖昧な絶妙の距離感を保った作品がヒットの秘訣であるという仮定もできるかもしれない。

 

 

 

少し話が逸れたが、いずれにせよ内容的にはあまり面白くなかったので、あれこれ考えてしまったというのが結論である。

 

第19使徒、シン・ゴジラ

 監督がエヴァンゲリオンを制作した庵野秀明監督だっただけあり、随所にエヴァンゲリオンとの類似点を見てとることができた。

 

 

 まずは話の大きな流れとしてシン・ゴジラは、

ゴジラの襲来→政府の対応と試行錯誤→撃退or凍結(最後)

といった具合であり、エヴァンゲリオンもまた同様に、

使徒の襲来→NERV(対使徒の特務機関)及びエヴァンゲリオン(対使徒巨大ロボット)の対応→使徒の討伐

といった具合に符号する。

細かな話をすれば多少の違いはあるものの、大方同じように話は進んでいる。

 

 目的も意図もわからぬままに、一心に日本の中枢である東京を目指して進行した点もよく似ている。ゴジラが海上から突如現れ、東京の街中を蹂躙する様に使徒の影を重ねることができる。

 

 

 

 一方両作品において、絶対的な存在に対峙した状況を取り巻く人々の動きの描写には決定的な違いがある。シン・ゴジラにおいて、ゴジラの登場と合わせてクローズアップされたのは、政府、国家、関係省庁の動きである。どちらかといえば集団の運動である。

一方でエヴァンゲリオンにおいては、使徒襲来を契機にして主人公の少年碇シンジを中心とした少年、少女の心の葛藤や機微である。シン・ゴジラが集団的であったのに対して、こちらは個としての性格が強い。

 

 

 

もしもシン・ゴジラが、エヴァンゲリオンを踏襲し、個人にフォーカスした作品であったならば、まったくその意味合いは異なってくるであろうし、見方も変わってくる。お役所感と一体感を両立、浮き彫りにさせるには、やはり集団としての人間を描き出すほかないだろう。