fancyjboy’s blog

とある大学で、映画やら本やらについて文章を書いています。課題はその時その時によって決まります!!

第19使徒、シン・ゴジラ

 監督がエヴァンゲリオンを制作した庵野秀明監督だっただけあり、随所にエヴァンゲリオンとの類似点を見てとることができた。

 

 

 まずは話の大きな流れとしてシン・ゴジラは、

ゴジラの襲来→政府の対応と試行錯誤→撃退or凍結(最後)

といった具合であり、エヴァンゲリオンもまた同様に、

使徒の襲来→NERV(対使徒の特務機関)及びエヴァンゲリオン(対使徒巨大ロボット)の対応→使徒の討伐

といった具合に符号する。

細かな話をすれば多少の違いはあるものの、大方同じように話は進んでいる。

 

 目的も意図もわからぬままに、一心に日本の中枢である東京を目指して進行した点もよく似ている。ゴジラが海上から突如現れ、東京の街中を蹂躙する様に使徒の影を重ねることができる。

 

 

 

 一方両作品において、絶対的な存在に対峙した状況を取り巻く人々の動きの描写には決定的な違いがある。シン・ゴジラにおいて、ゴジラの登場と合わせてクローズアップされたのは、政府、国家、関係省庁の動きである。どちらかといえば集団の運動である。

一方でエヴァンゲリオンにおいては、使徒襲来を契機にして主人公の少年碇シンジを中心とした少年、少女の心の葛藤や機微である。シン・ゴジラが集団的であったのに対して、こちらは個としての性格が強い。

 

 

 

もしもシン・ゴジラが、エヴァンゲリオンを踏襲し、個人にフォーカスした作品であったならば、まったくその意味合いは異なってくるであろうし、見方も変わってくる。お役所感と一体感を両立、浮き彫りにさせるには、やはり集団としての人間を描き出すほかないだろう。